老犬とポラロイド

いつまでも続いてほしい、でも決して長くはない、老いゆく愛犬との大切な日々。

<3> もう「おるすばん」はさせない

 マインは「おるすばん」には慣れていた。子どもの頃から、月に一度は一泊から三泊、私が取材や撮影で地方に出かけることがあったからだ。

 10歳くらいまでは、かかりつけの先生に預かってもらっていた。特に喜ぶわけではなかったが、諦めていたのか、たいがいおとなしくケージで寝ていると聞いていた。吠えることもなく、ごはんはよく食べ、「おとまり」をさせたからといって、その後、調子が悪くなるようなことはなかった。

 その後、10歳を過ぎた頃には、家によく遊びに来てくれて、マインも慣れている若い友人ができたので、彼女にペットシッターのアルバイトを頼むことが多くなった。気楽な一人暮らしの彼女は、私が留守の間、私の部屋に泊まって、マインの世話をしてくれた。

 朝と夜、決まった時間に用意したごはんをやって、夜は一緒にいてやってくれたら、昼間はアルバイトに行くなり、遊びに行くなりしてくれてよかった。散歩は休みにしていいと言っていた。トイレは家の中でできるので、そのために外に出る必要はない。

 実家でずっと犬の世話をしていた彼女はマインの扱いもうまかった。「夕方、帰ったら尻尾を振って出てきてくれるのがうれしくて」と言う彼女に、私は安心してマインを任せることができた。 

 ただ、椎間板ヘルニアを発症してからというもの、何かと気にかかることが多くなっていたので、地方に出かける仕事は控えていた。

 それでも5月、椎間板ヘルニアを発症して2ヶ月、どうしても実家に帰らなければならなくなった。週末の一泊。よんどころない事情を察してくれた彼女は「行ってきてください」と言ってくれた。

 マインも基本的には安定していた。寝ていることが多くなり、散歩もゆっくりになって、距離も短くなったけれど、それなりのペースはできていた。ごはんも決まった時間にしっかり食べた。

 気になるのは、不規則に続いている朝活、夜活のことだったが、それについても「頑張って起きるようにします」と言ってくれるのに甘えることにした。

 こうして、バタバタと実家での用事をすませ、日曜日の午後、部屋に戻ると、自分のベッドで寝ていたマインは顔を上げ、もそもそと出てきた。小さく尻尾を振っている。特に変わりはない。

 顔を見て一安心して、いつも外出から帰った時にするように、冷蔵庫から好物のチーズを出す。

 ところが、ここで食べなかった。顔の前に出されたチーズからプイと顔をそむけ、マインはベッドに戻って丸くなった。

 夕ごはんも食べようとしなかった。私が一晩いなかったことがストレスになったのか。それとも留守中に何かあったのか。

 友人に聞くと、土曜の夜は完食したが、日曜の朝は半分しか食べなかったとのこと。たしかに残った分がラップに包まれて、冷蔵庫に入っていた。

 月曜日の朝もほとんど食べず、夕方には呼吸がいつもより浅く、早くなっているように見え、もしやほんとうにどこかが悪いのではないかと動物病院に向かった。

 血液検査の結果、特に引っかかるところはなく、炎症傾向を示すCRPの値が少し高いだけ。考えられるとしたら、全身がなんとなくだるい感じの関節炎ではないかと言われ、痛み止めの注射を打ってもらって帰宅する。

 その夜も食べなかった。昼の間に、何であれば食べるのかと、牛、豚、鶏、レバーとあらゆる肉、それにチーズや「生ハム風なんとか」といったおやつも買ってあったが、全滅。

 途方に暮れていると、今度はピーピーと鼻で鳴き始めた。甘えているのか。でも、こんなふうに甘えたことはなかった。抱き上げるとジタバタして、下ろせ下ろせと言う。下ろすとまたピーピー言い出す。 

 夜活、朝活はするものの、食べ物を出すと、プイと横を向く。

 だが、見ていると、ぐったりして食べられないというよりは、意志力を持って「拒否」しているようなのである。

 まちゃん(私はマインをそう呼んでいた)、何が言いたいのかわからないよ……。

 こんなことを繰り返しながら、水曜日の夜、10時も過ぎた頃、なんとなく、これまでとは違う、何か欲しそうな顔をしているのに気がついた。

 こうなると、こちらはひたすら平身低頭である。頭を撫で、留守番をさせたことをあらためて何度も謝り、顔を近づけて「まちゃぁん、お願いだから、前みたいにチュッチュしてよぉ」をせがむと、なんと、顔にお尻を向けられた。

 なんだぁ、いまのはぁ?!

 この人間の若い女の子並みの(と勝手に想像するところの)対応には、もう私の方が声を上げて笑ってしまった。

 でも、その時、お尻を向けていたマインがもぞもぞこちらを向いて、飼い主念願の「チュッチュ」をしてくれたのである。

 耳が聞こえなくても、笑い声は響くのか。

 今だ、と思って、ごはんを出してみると、結構勢いよく食べ始める。そして、夕ごはん分を完食。

 その後の寝顔は久しぶりに穏やかに見えた。

 

  結局なんだったのだろう。わがままだったのかもしれない。身体もどこか痛かったのかもしれない。胃がすっきりしないとか、そんなこともあったのかもしれない。

 こういったことも老化なのか。

 老化の一言ですべてがすむとは思わないが、「高齢犬」に関する本やブログを読むようになって、年をとると、身体にも心にも変化が起こるらしいということは受け入れられるようになっていた。

 そして、もうしつけでどうこうするものではないことも十分に理解できた。叱ることではないことも。

 合わせてやろう。できることであれば。

 これまで、このコにどれほど支えられてきたかを思う。離婚や転居にも付き合わせた。その都度、このコはついてきてくれた。このコがいたから、私はいつも大丈夫だと思えた。

 もう、おるすばんはさせないよ。

 そして、明日も笑おう。ふたりで。ね、まちゃん。

  

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