老犬とポラロイド

いつまでも続いてほしい、でも決して長くはない、老いゆく愛犬との大切な日々。

<80>だんどりーなマインの華麗なるフィニッシュ

前回の投稿にもたくさんの方からあたたかいお言葉をいただきました。ほんとうにありがとうございます。マインが亡くなってから2ヶ月がたちました。かねてからブログは2ヶ月で終わりにしようと思っていました。最後にもう一度マイン自慢をさせてください。とてもカッコよかった最期の日のことを聞いていただければうれしいです。

 

その前に、「老犬とポラロイド」というタイトルにもなって、やはり先にいってしまった愛機sx-70で撮った桜の写真を。今年はお花見も思うようにできなくて残念ですが、ほんの気持ちだけでも。

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 では、マインの最期の日のことを。

 その日、じつは私は撮影に出かけていて、マインはシッターさんにお願いしていた。昨年から来ていただくようになったこのシッターさんをマインはとても気に入っていた。それ以前、留守にするときに動物病院に預けるとしばらくはちょっと調子が悪くなったりしたのだが、このシッターさんに見ていてもらうとむしろ元気になった。

 今回も「女子会してるからおかあさんはいってらっしゃい」と送り出してくれた。なかよしでもずっと一緒だと息が詰まることがあるものだからね。私は笑いながら「話を聞いてやってね」と仕事に出かけた。

 現場はひどい雨だった。午前中はなんとか屋内を中心にできるものから撮っていたが、次第に雨はひどくなり、正午を過ぎた頃、移動の途中で川が決壊した。昨年の大雨の被害で地盤が緩んでいたところに、のちに聞いたところでは一日で一ヶ月分の雨は容赦なかった。

 なんとか安全なところまで戻り、午後の撮影は中止と決まった。日を改めるとなるとまたマインを置いて出てこなければならない。空を見上げると雲が切れ始めていて、私はなんとか残っている撮影を終わらせられないかと粘った。それでも、町から緊急避難指示が出ているようでは仕方がない。恨めしい思いでもう一度空を見上げると、虹がくっきりと大きなアーチを描いていた。

 シッターさんからマインの調子が急変したと連絡があったのは、それから間もなくのことだった。タクシーで動物病院に連れていってもらうようにお願いして、私もすぐに戻ることにする。それでも電車の本数は限られていて、帰宅が夜になるのは明らかだった。

 電車で戻る途中、病院から電話があり、そこで初めて、マインのおなかの真ん中あたりに腫瘍ができていて、それが破裂したことを知る。はっきりしたことはわかりませんが、おそらく脾臓の血管肉腫の可能性が高いでしょう。まったく気がついていなかっただけに、頭が真っ白になった。

 先生が処置の選択肢を説明してくださっている間に、そのくぐもった声を突き破るようにして、マインの、めったに発しない甲高い声が耳に飛び込んできた。

「もうここはいいの!帰るわよ!」

 その声で頭が少しはっきりした。とにかく手術は考えられない。動物病院の先生には最低限の痛み止めと止血をお願いして、シッターさんに連れて帰ってもらうことにした。マインはここ数年、この動物病院が好きではなかった。10年お世話になったけれど、何かと「トシ」だの「ガンコ」だの言われるようになったのが気にくわなかったのかもしれない。

 マインの最後の主治医はやはり星野先生なのだった。動物病院の先生との電話を切った後、すぐに星野先生に電話して状況を話すと、できるだけ早く行くと言ってくださった。私が帰るより先生が来てくださる時間の方が早そうだったので、シッターさんにドアを開けてもらうようにお願いした。

 結局、私が家に帰り着いたのは夜の9時を過ぎていた。マインはいつも通りのふとんに、ブランケットをたくさんかけてもらって寝ていた。呼吸は早かったけれど、それでも星野先生のお灸でずいぶん楽になったのだと聞いた。

 マインがふっと動かなくなったのは数時間後だった。星野先生もシッターさんもそれを見届けてお帰りになった。そしてマインはぱっちり開いた目で言った。

「さ、ここからはふたりよ」

 思えば最期の日、マインは、おそらくは私であればパニックに陥ってできなかったであろう世話を、すべてシッターさんに頼んだのだ。「おかあさん、いざという時に頼りないから、あなたにお願いするわね」

 さらには星野先生もお呼びした(お呼びするように仕向けた)。「おかあさんは生きてるか死んでるかの区別もつかない人だから教えてあげてほしいの」

 そうやってここ数年、自分が信頼しているおふたりにきっちりお膳立てを任せ、「これでいいわ」とばかりに私を待った。たしかに私は家に帰ってから何もすることがなかった。

 川の決壊が腫瘍の破裂を暗示しているとか、虹が出たのはマインが自分で準備したのだとかは妄想だけれども、そう信じてもいいほど、マインの段取りは完璧だった。

 最後にマインは二鳴きして、それを星野先生は飼い主への挨拶だと言ってくださったけれど、私は、その直前に「ちー」をしたので「シーツを取り替えて」の意味だった気がしている。

 プライドの高いマインは、息を引き取ってから「ちー」を見つけられるなんて許せなかったにちがいない。実際、亡くなってすぐ、先生にお尻にガーゼを詰めてもらうと、それから火葬の日まで3日間、マインは一滴の水分も体から出さず、体はずっときれいだった。

 毛もふわふわで、開けたままの目が乾いても、少し水を差すとまたキラキラして、硬く冷たくなった体もお湯につけると戻るのではないかと思うほどだった。

 マインらしく、きっぱりした最期だった。

 

 まちゃん、みなさんにもごあいさつして。

 

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ありがとうございました!また会える日まで!


 

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これまでお読みいただきほんとうにありがとうございました。ブログそのものはもうしばらく残しておきます。どうかみなさま、お元気で。愛をこめて。さようなら。ままま+ま